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​profile

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今村 竜也(イマムラタツヤ) 1975年 福岡県生まれ

 

ベーシストとして18歳で上京。

数々のバンド活動を経て、37歳にしてソロ活動開始。

作詞作曲、レコーディング、MIX、動画撮影、動画編集までDIY精神にてなるべく自身で試みる。

レーベル今村商店の店長。社員は今村一人。

マイノリティーの奥深くへ潜水中。

 

5児の父であり日々生活の音にまみれ音楽的高みを目指している。

2018年6月にはimamura tatuya folk explosion から今村竜也へ突如活動名を変更。

究極のシンプルを目指しアコースティックギター一本での弾き語りにてライブ活動中。

ex 今村竜也とウエタケユキオ(~2012)

ex PLEASANT TAP (~2012)

ex HEART BREAK KILLERS (~2006)

ex THE HEART DROPS (~1998)  

今村竜也のWiki

歴史

  • 1975年 福岡県福岡市にて出生。高校卒業までを団地で過ごす。治安が悪く今村はよく「夜になると20匹ほどの野犬の群れが徘徊していた」と話す。突然襲われた事もあると言う。
     

  • 1994年 上京。高校3年末から5月まで警備員のバイトで貯めた20万円とベースを持って上京したという。笹塚に住む事を決めた理由は「新宿や渋谷に近く風呂なし物件が多くある場所を選んだ」との事。当時今村は下北沢に音楽シーンがある事は全く知らなかったと言う。
     

  • 1994年〜 笹塚のボナペティートパパ(パスタ店)にてバイト。そこでヤッチン(中国釣具店・デカスロン)に出会う。今村曰く「ヤッチンと出会い下北沢のパンクシーンに触れた。彼の存在が東京でのミュージシャンとしてのスタートである。彼に出会わなかったら今の俺はない」との事。彼の紹介でGO (JUNIOR)のバンドに加入。初ライブを下北沢251で行う。スカ色の強いバンド衣装にモッズスーツを勧められたが「自分はこれで行きます」とフィッシュボーンのTシャツ、パイレーツの野球帽と短パン、ゴリラのワークブーツの出で立ちにて東京初ステージを遂げる。とてもダサかったとの事。その後、ソウルビアーズに加入。脱退直後にTHE HEART DROPS結成。ベーシストからベースボーカルへ転身する。  下北沢GARAGEを中心にライブ活動を展開。当時下北沢のありとあらゆる壁には小麦粉のりではられたフライヤーがあったと言う。下北沢の音楽好きには名前を知らぬものはおらず、そのプロモーションの甲斐もあってかTHE HIGH-LOWSのオープニングアクトに抜擢。話題となった。全国ツアー、アルバム発売、TV出演(ブレイクアウト・Zの部屋)。メジャー契約秒読みと噂され始めた頃に突然の解散(1998年)。「どこに行っても同じ曲順、同じMCを要求されパンクロックとはこんなものではないと本当に思った。メジャーの話も耳に入っていたがこのままでは音楽を嫌いになってしまうと思い辞めた」と今村は語っている。
     

  • 1998年〜 某バンドにベーシストとして参加。ガンズ・アンド・ローゼズGuns N' Roses)のギタリスト、スラッシュ(Slash)プロデュースにてアルバム発売。アメリカアナハイムのサンライズホールにてゴールドフィンガー (GOLDFINGER)主催イベントに出演。その後メンバーとのトラブルによりバンド脱退。
     

  • 2001年〜 THE HEART DROPSのギターSHIROと共にHEART BREAK KILLERS結成。2006年解散。
     

  • 2007年〜 PLEASANT TAP結成。2012年活動休止。平行しアコースティックユニット、今村竜也とウエタケユキオにて活動。2012年解散。
     

  • 2012〜 カホンプレーヤー早川有介とのアコースティックユニット、IMAMURA TATSUYA FOLK EXXPLOSION結成。アルバムを2枚リリースし2017年に解散
     

  • 2017〜 IMAMURA TATSUYA FOLK EXXPLOSIONをソロ活動として開始。交友のある向井秀徳氏より「名前が長すぎる。最終的にお前はエクスプロージョンさんと呼ばれる」、三栖一明氏より「今村竜也」の方が字面のインパクトが強いとの指摘を受け「今村竜也」名義での活動となる。

 

人物

  • 既婚。5児の父。

  • 身長:166センチ

  • 血液型:B型

  • おとめ座

  • 卯年

  • 左投げ左打ち

 

影響

  • 息子の一人に名づけるほど村上春樹に影響を受ける。好きな村上作品は「国境の南、太陽の西」。

  • また、中島敦にも強い影響を受けている。最も影響を受けた作品は「悟浄出世」。

 

趣味嗜好

自身のバンド名を好きな競走馬タップダンスシチーの父の名前、プレザントタップにした事もあるほどの競馬好き。子宝に恵まれすぎて馬券に投資するゆとりがないと言っていたが、2019年頃から競馬プレーヤーに復帰した様子。今村馬心(バシン)と名乗り血統研究、予想を展開。ただ馬券の回収率は50%台との噂がある。


飲酒について「常に飲んでいる。若い頃はマクドナルドにラム酒(マイヤーズラム)のポケット瓶を持ち込みダイエットコーラに入れ酒盛りした。ディズニーランドにもポケット瓶を持ち込んだ。イッツ・ア・スモールワールドは泥酔した状態で体験するべきだ」と語るほど依存している。


ベランダビオトープにてメダカドジョウタニシ水生植物を育てている
 

どこにでも基本的に自転車で行くほどの自転車好き。愛車はGIOS社のAMPIO。

 

その他

  • 小学生の時、家が海の近くだった事もあり海釣りに熱狂した。釣具店「釣具のポイント姪浜店」には週2のペースで通っていた。
     

  • 中学生の時、入学2日目に番長に廊下でボコボコにされた経験があると言う。友人の証言では「竜也はカバンを下ろしファイティングポーズをとって番長と対峙した」との事だが本人は全く覚えていないとの事。
     

  • 高校生の頃、あまりにも自己中心的な行動が目立ち仲間内から「暴君」と言われていた。ある夜麻雀をしていた時にリーチのみで上がった面子に対し「俺が苦労しているのにそんな下らない役で上がるとは何事か」と激昂。麻雀牌を投げつけた事もあると言う。
     

  • 上京した当初、下北沢のパンクシーンを賑わしたバンド「中国釣具店」のメンバーから「お前は春に九州から上京して来たから九州春男児だ」と言われ暫く「ハルダン」と呼ばれていた。
     

  • 四畳半一間の部屋で生活をしていた頃、田舎の母から月に一度大量のマルタイ棒ラーメンが仕送りされ、それを主食としていた時期があったと言う。あまりにも食べ過ぎて飽きた為、棒ラーメンにカレールウを一欠片入れたアレンジメニュー「マルタイ棒ラーメンカレー」を開発。仲間内で流行した。併せてサッポロ一番味噌ラーメンも食べ過ぎた為、その匂いを嗅ぐだけでノスタルジーに浸る事ができると語っている。
     

  • 向井秀徳氏(ナンバーガールザゼンボーイズ)との親交が深く「俺と向井君は血の繋がってない兄弟だ」「彼とは運命により引き寄せられている」などと語っている。二人は中学校が隣同士だったり、現在住んでいる家が近かったり、趣味嗜好が似通っていたりと数多くの共通点があると言う。喋り方や動き、後ろ姿なども似ていると良く言われるとの事。二人の姿は度々下北沢の路上での弾き語りや、居酒屋、銭湯で目撃されている。

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